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満月のmisfortune [あいさつ・内輪話]

2016年最初の文章が、このような内容になってしまうのは申し訳ないのですが
よろしかったらおつきあいください。

日本国内も、また国際的にも、激動といえたこの1カ月。
史上まれに見る大寒波が西日本一帯を襲い、奄美大島に百数十年ぶりの雪を降らせ
さらに、大関琴奨菊が日本出身力士として10年ぶりの幕内優勝を果たした1月24日。

昨年の12月上旬から入院していた父が、亡くなりました。
急逝に近い、自分にとっては衝撃的な別れでした。

入院当初は特に大した症状ではなく、すぐにでも退院できるような状態だったのに
最初に危篤の報を受け取ったのは12月下旬のこと。
あわてて、下の妹の婚家のそばにある病院に駆けつけたのですが
予想ほど悪くはなく、結局は日帰りで帰京。
父は一応小康状態を保ったまま年を越し、正月を迎えました。

このまま快復するかと思ったのに、1月上旬の三連休、再び来てくれるよう妹に促され。
医師から「治る見込みはない」旨、告げられたそうです。

6年前に亡くなった母のときと比べても、病気は違いますが、
駆けつけて直接会っても、そんなに悪い状態には見えなかったし。
まさか1カ月も経たないうちにこの世を去るなんて、到底思えなかったのです。

それから病気は一進一退を繰り返しながら、徐々に弱っていったようですが
妹からのメールを見る限り、すぐにどうこういう感じではないようだったので
自分としては1月いっぱいまでの契約となっている今の仕事が終了した後、
父のところに向かい、次の仕事が始まる2月8日までの1週間、
お見舞いを兼ねて滞在するつもりだったのです。

そんな中、妹が仕事が忙しく、お見舞いに行けなかった日があったというメールを
よこしてきたのを機に、訪問を1週間早めようと決意。
一人で行くつもりが、ダンナも一緒に行くことになり、車で父の病院へ。
暖かかった2週間前とまるで違い、すっかり雪景色になっていました。

運命の24日。妹は休日出勤で病院に行くことはできず、私たち夫婦だけでお見舞いに。
その前の日と比べても、特に変わったところはなく、かたわらのテレビで私たちと一緒に
錦織圭選手の全豪オープンの試合とか、九州各地が一面の雪景色になったニュースとか
雪がちらついていた広島での駅伝の大会を、うつろな目で眺めながら…。

入院前からほぼ寝たきりで、意思表示が満足にできない状態でしたが
それでも顔色は悪くなく、体もよく動き、いつもは時々あったうめき声もなく、血圧もまったくの正常値。
ただ、点滴の針がなかなか入らず苦労はしてましたが
世話をしていた看護師さんも、まさか数時間後に不測の事態になるとは思ってなかったはずです。

「まだもう少し大丈夫そう。今週末、また来るから」そう妹にもメールして、病院を後にしました。

まずまずの天気の中、車は一路東京へ。琴奨菊の優勝の話は、カーラジオで聞いていました。
その日はちょうど満月。月のホントに綺麗だったこと。

都内に入り、夕食を買おうと、うちからさほど遠くないスーパーの駐車場に車を入れたとたん、
妹から電話がかかってきました。悪い予感は、的中しました。

「えっ、なんで、5時間前はとても死ぬなんて思えない状態だったのに」
容態急変の知らせを聞いて、駆けつけた妹も間に合わなかったそう。
私が、生前の父に最期に会った肉親となりました。

間もなくあの世へ逝くのなら、どうして肉親の私に、苦しい様子を見せなかったのだろう。
私はそのまま病院へとどまるつもりだったのに。なんで誰にも知らせず、この世を去っていったのだろう。

確かに私は3人姉妹の中で一番最初に、父に名前を忘れられた娘。
母の死後、婚家の近くの老人ホームに入れ、仕事や育児で忙しいかたわら、
ずっと面倒を見てくれた一番下の妹。
一時期は両親と同居もし、ホーム入所後も、イベントの折に付き添いの家族として出席してくれた
上の妹(3人姉妹の真ん中)に比べ、私は年に2回の訪問が精いっぱい。
最も親不孝な娘であったのは事実ですが、よほど信用がなかったんでしょうか。

翌25日。私は仕事先に連絡を入れ、新幹線に乗車し午前中に到着。
1日420キロの道を、3日連続運転することになってしまったダンナはさすがに可哀想だったので、
荷物と一緒に夕方に着くようにしてもらいました。

ところが。26日通夜、27日葬儀・告別式、28日帰京、29日契約最終日の出社と
予定していたつもりだったのに、菩提寺の住職の都合で、通夜や葬儀・告別式が
それぞれ2日ずつずれ、1週間滞在する羽目に。
結局、葬祭場の家族控え室に4泊することになり、最終日の出社も不可能になりました。

必然的に私が喪主を務めることになり、その業務は予想以上に大変でした。
何しろ、弔問客を出迎えるために常にスタンバイしたり、斎場の担当者と逐一
打ち合わせをしなければならなかったり、香典返しや引き物の品物の選定をしたり、
式での挨拶を考えたり…。なかでも、セット料金に入っていたDVDサービスの写真のチョイスは、
カメラが趣味だった父の何百、何千枚のストックから一両日中に20枚ほどに絞らなければならず、
かなりの困難を極め、思った以上に気の休まる暇はありませんでした。
暇ができたときにやろうと思っていた、自分が管理者となっているホームページの更新も
まったくの手つかず。文庫本何冊かも、1ページも開くことはありませんでした。

でも。写真を見ていると、いろいろと父のことを思い出します。

庭いじりが何よりも好きだった父。そういえば高校生の時、夏の朝は家庭菜園で採れた
キュウリやトマト、ピーマンのサラダを、毎日のように味わい。

私の唯一の親孝行でもあった、プレゼントした旅行券を使って、日本有数の山岳観光地に
母と2人で行ったときの写真も、ちゃんと残ってました。

なかでもホーム入所後の父の様子は、ホームのスタッフのかたがちゃんとデータに残してくれて、
何となく疎遠になってしまった父の姿を、私に知らせてくれました。

入所当初はまだ意識がはっきりしていて、掃除や料理の手伝いもしていました。
将棋を指している写真を見たときは「あ、将棋ができるんだ」とちょっと驚いたり。
(麻雀をしている父しか見たことがなかったので)

スイカ割り、お花見、節分、入居者とのお散歩…。
でもこの6年の間に顔はすっかり別人のようになってしまい、体も満足に動かなくなり、
車椅子、そして寝たきり同然に。

生真面目で仕事熱心。幼い頃の私の、いろんな質問にも何でも答えてくれた父の
あまりに変わり果てた姿を見るのはつらかったけど。
もう少し父と向き合えばよかったのかなと、今になって後悔してます。

酒が飲めず、甘いものが何より好きだった父のため、祭壇に置かれていた
オレンジジュースとチョコレート。そして、愛用の銀塩一眼レフカメラ。
その光景を思い出すたびに、そして、満月を見るたびに、父のことを想うのでしょう。

恥ずかしくなるような乱文に、最後までおつきあいいただきありがとうございます。
本年もよろしくお願いします。


お読みくださいましてありがとうございます。次回もお楽しみに。
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