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「緑の町に舞い降りて」が羽田発で「復活」 [主にJAL]

皆さんこんにちは。じゅめいむこと、元祖・鉄子としても知る人ぞ知る
トラベルライターが本業の岩間昌子です。

私が生まれて初めて乗った飛行機の路線というのが、TDA(当時の東亜国内航空)の
羽田-花巻(いわて花巻)線。1984年5月31日、大学4年生の時でした。

この路線を選んだ理由は、自分のふるさと・岩手県に飛ぶというのもさることながら、
当時熱狂していた、ユーミンの曲「緑の町に舞い降りて」
(アルバム「悲しいほどお天気」などに収録)に影響を受けてのこと。

何しろ、自分が高校時代を過ごした町「MORIOKA」が歌詞に出てくるし。
*いわゆる「ナンバースクール」と呼ばれる高校に在籍してました

また、私が乗った頃はすでに、東北新幹線が開業していて
羽田-花巻線も存続の危機が取りざたされていたと記憶していますが、
当時としては珍しかった空路での帰省にあこがれ、この機会に、
しかも「緑の~」の歌詞のとおり、「5月」に乗りたいと思い
卒論の事前調査という目的を付けて、この路線に搭乗することに決めたのです。
*もっとも卒論のテーマは飛行機ではなくて「鉄道」、
三陸鉄道と国鉄岩泉線をメインにしましたけどね

その時のもようは、当ブログの2007年5月13日付の「初めて飛行機に乗った日」の
記事に書いてますが。

歌詞にあったイヤホンは機内設備になく、歌詞にあったタラップもすでに花巻にはなく。
これまた歌詞のとおりに、さほど長くない髪を無理矢理三つ編みにしたのに
外に出ることなく、ボーディングブリッジでダイレクトにターミナルへ。
「なんか違う…」と心のなかでツッコミを入れてました(苦笑)

その後、この羽田-花巻線は翌1985年に運休。
ブログの記事では、「今は東京からでは、願ってもかなわない空の旅となってます」と
書きましたが。

くしくも、2011年3月11日発生の大震災で、東北新幹線が甚大な被害を受けたのに伴い
仙台線などとともに、いわて花巻線も、羽田からの臨時便運航路線に加えられたのです。

しかし、新幹線が復旧するにつれ、臨時便は徐々にその役割を終え。
羽田-仙台線も、ANAは2011年4月26日、JALは同年4月28日で運航を終了したと
記憶してますが。

新幹線の全線再開に時間がかかったからでしょうか。
羽田-いわて花巻線は、このゴールデンウィークも、私が27年前に乗った時と同じ
1日2往復が、JALにより運航されているのです。

もっとも、運航は2011年5月8日まで。
四半世紀の時を経て、つかの間ながら、はからずも復活した
羽田から「緑の町に舞い降りて」を体験する、片道284マイルの旅。

もちろん、事情が事情だけに、歌のように晴れやかで穏やかな気分で乗ることは
できないにしても。少しでも当時の思い出にひたりつつ、ユーミンの世界に
久々に感じ入りたい、という気持ちがなかったわけではありません。

ただ、経済的に余裕がないというのもありますが
肝心の「5月」に入ってから、少なくとも東京では、今ひとつの天気が続いていることも
自分が空の旅をためらっている理由。

じつは、27年前の旅も、どんより曇り空だったんですけどね。
やはり、5月にふさわしい、さわやかな気候のもとでフライトを楽しみたいですよ。

もしももしも、私が次に、いわて花巻空港に舞い降りるなら、羽田以外の空港からに
なるんでしょうね。あくまで「5月」にこだわりつつ。

追記:
いやあ、いわて花巻空港が2009年に新ターミナルビルを供用開始した時に
「緑の町に舞い降りて」がイメージソングに採用されてたんですね。
歌詞レリーフのあるところは、「雨のステイション」の西立川駅のよう(笑)
さらに「ユーミンのりんごの樹」もあるなんて…。
詳しくは、いわて花巻空港の公式サイトでどうぞ。
http://www.hna-terminal.co.jp/

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